プロローグ
前職を辞めて早4ヶ月。
「退職して良かったか」と聞かれたらYES。
「後悔は無いか」と聞かれたらNO。
私は2021年8月に約6年間勤めた会社を退職した。
初めは転職先が先に決まってから退職しようと考えていた。
だけど、次が決まる前に退職することにした。
周りの皆は言った、「次が決まってないのに先に辞めるのは良くない」と。
SNSを見渡してみても、「退職するなら次が決まってからの方が良い」という意見が殆どだった。
退職してみての結論は冒頭の通りだ。
退職をして良かった、しかし後悔もある。
このふたつの思考について、ブログ初投稿という形で記していきたいと思う。
そしてこの思考がブログを始めたきっかけにも繋がってくる。
退職して良かった
「退職して良かった」というのは、ただ退職をしたことが良かった。ということではない。
”転職先が決まる前に”退職をして良かった。ということである。
前職を退職し、そのまま次の転職先での勤務へ。という流れだったと考えると、少しゾッとしてしまう。
「退職して良かったか」と聞かれた時の返答が、NOという形になっていたかもしれない。
なぜ転職先が決まる前で良かったのか。
少し深いかもしれないが、人生について”考える幅”が広がったからである。
もし転職先が決まっていたとしたら、前職を辞めた後は何も考えずにリフレッシュするだけだっただろう。
きっと何も変わらなかった、ただ仕事内容が変わるだけ、私の日常と仕事への考え方は変わらなかっただろう。
”生活するために働き、お給料を頂き、余暇を楽しむ”
勿論この考えは全く悪いことではないと思っているし、
職場環境や仕事内容の善し悪しで変わることは沢山あると思う。
ただ単純に、私の頭の中で、「人生このままで良いのか」と考える時間になった。
では考える幅とは?
思考、生活、仕事への価値観の幅、社会への理解の幅である。
ちなみに私は価値観についてこう言語化している。
”その人自身が、多様な物事に対して持っている考え方とその価値”
私の中でその価値観がどの様に広がったのか次に記していきたい。
①思考の価値観について
社会的にもLGBT等、多様性を積極的に取り入れる流れが強くなっているが、それに似た様な事かもしれない。
以前の私は、多数派・空気・常識(本来常識というのは存在しないのかもしれない)、等を基準に物事を考えてしまう傾向にあったが、
”他人の意見や常識を受け入れた中で自身の考えや価値観を独立させればいい”
と思える様になった。
そう思うと自分の思考について、周囲の価値観から影響を受けることが少なくなった。
私は独立した存在であり、他人がどう思っていても自分の価値観で取捨選択を行う。
それが一人の人間として生きる意義なのではないかと考える様になった。
ただその中で勘違いしてはいけない点は、それは私以外も同じだということだ。
人は皆、様々な価値観を持っている。
その中では、この考えを馬鹿にする人も沢山いるだろう。
馬鹿にされようと、そのことを私自身は受け入れるだけで良いと思っている。
大切なのは、私の思考や行動がそういった私以外の意見や価値観に囚われる必要がないということである。
②仕事への価値観について
先ほど述べた通り、私の仕事への価値観は、生活をする為、余暇を楽しむ為、であった。
もっと正確にいうと、それが出来ていたら問題は無い。という価値観だ。
今もこの価値観は持っている。
なので仕事に対する考え方が増えた、という表現が正しいということか。
果たしてどんな考え方が増えたのか。
”仕事というものは対価を受ける行動全てに当て嵌る”
依頼されたことに対応する。物を仕入れて仕入額と販管費より高く売る。何かを創って提供する。
需要に対して応え、対価が入ってくること全てが仕事。ということである。
会社員の頃は、出社して退社する。悪い表現をすると所属している会社に行けば給料を頂けるのだ。
給料を増やすことはその人次第な所もあるが、基本は行くだけで基本給が入ってくる。
会社に行くことが対価を受ける行動、に繋がっていたと考えると、
やはり会社員は楽なのかなとも思える(勿論そんな単純な現実ではないが)。
ただ、ずっと会社員でいたとしたら、この様な考えを持たなかったかもしれない。
もうひとつは、クリエイティヴについてだ。
クリエイティヴとは、創造的な仕事。広告やWEBのデザイナー職だったりITベンチャー企業の営業だったり、
マーケティング職だったり(偏見かもしれない)、そういった創造性が高いと思われる職種がクリエイティヴな職業と思っていた。
しかし、会社に所属して働いていたとしたら。
その時点で会社が求めていることを達成することが第一で、その達成の為のクリエイティヴということになる。
どちらにしても創造することが求められるので、クリエイティヴな仕事に変わりはないと思うけど、
その人と仕事の間に会社が存在し、会社に縛られたクリエイティヴではないだろうか。
クリエイティヴな仕事に少しばかり憧れがある私は、真のクリエイティヴについてこの様な思考を持つ様になった。
”自ら考えて社会や人々の需要に貢献することの全てに当て嵌る”
今後どんな仕事をするこのか不透明な状況で、この様な仕事に対する考えを持てたことが大きな価値観となった。
③生活への価値観について
会社員をしていると時間が縛られる。出社時間があり、出社している間は自由ではない。
長い時は1日の半分を縛られている時もあった。
“その生活が普通だ” とその時は思っていた。
それはある種の”洗脳”とも言えるのではないだろうか。
そんな状態であった私だが、退職し、時間に縛られることが無い中で、下記の様なことを再確認出来た。
”なにをしている時の私が幸福であるか”
”思考と仕事と生活は全てリンクしている”
全てリンクしていることについては、
当たり前だ。そんな事知っている。と思う人も多いだろう。
改めて費やしている時間が同じということ。
1日に時間割などない、時間は不変でその時間に何をしているのかということ。
サッカー中継をLIVEで見ている時こう考えることがある。
”自分はくつろいで試合を見ている、その時選手はまさしく画面越しで実際に試合をしている、同じ時間なのか。”
一見普通だが、少し深く考えると、私はなんだかおかしな心境に陥ってしまう。
まとめると、私の中では仕事は仕事、余暇は余暇、では無いのだという価値観に気がつくことが出来た。
転職先が決まっていない状況で退職しなかったら気がつかなかったのではないかと思っている。
④社会への理解とは。
個人というのは、会社員になった時点で会社におんぶに抱っこな状態に陥る可能性が高い。
自分のアンテナを意図的に拡げなければ、勤めている会社・同業・関連業界・自分の好きな事、くらいしか情報は入ってこないだろう。
勤めている会社を中心に社会を捉え、老いていくことが多いのではないだろうか。
そんな状態に陥っていた私は、流れに身をまかせるまま税金を納め、自らは特段何も得ていないのにお金が流出している事を受け入れてしまっていた。
給与明細を見て、理屈だけ捉えていただけ。
社会の理解まで到底及んではいなかった。
そんな私が退職し、自分で税金を納めた時。
これだけで社会への理解が一歩深まった。
なぜこんなに納める必要があるのか、日本社会はこういった仕組みになっているのか、と。
きっと会社員である期間が無ければ考えなかったことかもしれない。
後悔は無いか
「後悔は無いか」
そう聞かれて”NO”というのはただ退職をした事が間違いだった、という事では無い。
”退職する前の自分” に対して後悔があるということだ。
その後悔について、1番の後悔は、皮肉にも退職して気付かされたことである。
”結局は会社に行って帰るだけ”
勤めていた約6年間、を振り返るとそんな生活になっていたのではないか。
ちなみに私の勤務評価としては悪いものではなかったと思っている。
一度もサボらず真面目に出勤をし、タスクをこなし、やるべき事を自ら考えた。
ただ社会的に見たらどうだろうか。きっと普通だろう。
真面目に出勤、タスクをこなす、やるべき事を自ら考える、全然特別なことではない。
それが難しい、出来てるだけ凄い、別にそれで十分じゃん、という人も沢山いるとは思うけど。
ただ単にこれは私の価値観である。
仕事について改めて考えた時に、やっぱり行って帰っていただけだったんだなと考えてしまう。
転職活動で、職歴・資格の欄を埋めようとしても普通なことしか浮かばない。何も特別な事が書けない。
その事実が6年間を物語っていると思う。
こんな事を言うと会社員の方々から反感を受けるかもしれないけど、そういった時間を過ごしてしまったことに後悔が募るのだ。
更に理由付けをしてみる。
”社会という場に自分の脚で立っていられないこと”
”会社に所属していただけなのに、社会に自分は立てていると勘違いをしていた”
このことを会社を辞めた途端に実感した。
言い方を変えると、会社があるから社会が安定していて、会社が人々を安定させているということでもあるが。
組織に属していたから生活出来ていただけなのに、なんの危機感も持っていなかった。
一人で社会に立てるスキルを得ようともしなかった自分に後悔をしている。
ひとつ救いなのは、この事実に今気がつけた事だと思う。
結局は後悔もあるけど、転職先が決まる前に退職する選択をして良かったのだ。
エピローグ
なぜブログを書こうと思ったのか。
そのきっかけは、転職先が決まる前に退職を決断したからだと思う。
思考、生活、仕事について考える幅を拡げることが出来たなかで、
文章を考え、言語化する時間が私にとって有意義であると再確認した。
後悔から、社会に自分の脚で立つことにが必要と考え、ブログの活動がそこに繋がるかもしれないと思った。
そして私の日常や、思考、学んだ事をこういった形で発信する事で、読んで下さった方々に良い影響を与える事が出来たら、尚素晴らしいことであると思っています。
最後までお読みくださり有難う御座いました。